「六甲おろし」広めた伝説の虎党 中村鋭一さん死去、87歳

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昔ラジオおはようパーソナリティ中村鋭一です!!朝から聞いていた(;^_^Aおかんが!!好きやねん💦
ご冥福をお祈りいたします。

熱狂的阪神ファンで知られ、元朝日放送アナウンサーで衆参両院議員も務めたタレントの中村鋭一(なかむら・えいいち)さんが6日午後11時33分、肺炎のため大阪府吹田市内の病院で死去した。87歳。滋賀県出身。通夜は9日午後7時から、告別式は10日午前11時から、いずれも公益社千里会館=吹田市桃山台5の3の10、(電)06(6832)0034=で。喪主は妻幸子(さちこ)さん。

 関係者によると、中村さんは昨年末に軽い脳梗塞を発症。それ自体は大したものではなかったが、年齢的な衰えから来る体調不良のため、1年ほど前から入退院を繰り返していたという。

 今年3月末まで約6年間、FM千里で続けていた「鋭ちゃんのダイナマイト・トーク」に病床から電話出演したのが最後の仕事となった。


 同大の前身、同志社外事専門学校卒業後、一度は中学の教師に。だが、初代のミスタータイガースと呼ばれた藤村富美男氏に憧れ、スポーツキャスターになることを決意。再び同大に入学し直し、在学中の51年、朝日放送に第1期アナウンサーとして入社した。

 念願かなってスポーツ中継を中心に活躍。その後、人事交流制度で朝日新聞記者として事件記者を経験するなどし、71年に朝日放送に復帰。直後の同年4月に始まった情報番組「おはようパーソナリティ中村鋭一です」が大人気となり、6年間にわたって高聴取率を誇った。

 同番組では阪神が勝った翌日、中村さんが「阪神タイガースの歌」を「六甲おろし」と呼んで熱唱。その言葉が世間に広まり「六甲おろし」が同曲の通称として定着し、72年には中村さん歌唱でレコード化され40万枚を超えるヒットとなった。

 77年3月、大阪選挙区から参院選に出馬することに伴い同局を退社し番組も降板。6月の選挙では落選し一度、タレント活動を再開した後に80年、大阪選挙区から再び挑んで初当選。86年にタレント・西川きよし(71)との競合で再選を阻まれたが89年に滋賀選挙区から返り咲いた。国会の代表質問で「タイガース、ただいまリードしております」などと発言。懲罰委員会にかけられたこともあった。衆院選は96年、大阪14区から出馬し当選した。

 国会議員としては参院2期、衆院1期を務めて00年に政界引退。その後はタレントだけでなく政治評論家としても活動していた。

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中村鋭一さん虎党に愛され…甲子園暴動もABC放送席だけ無被害
 元朝日放送アナウンサーで名物パーソナリティーとして活躍した中村鋭一さんの訃報を受け、後輩の道上洋三アナ(74)が8日、77年に中村さんから受け継いで41年目になるABCラジオ番組「おはようパーソナリティ」で、中村さんが歌った「六甲おろし」を流し、追悼した。

 道上アナは番組で中村さんの訃報を伝え「40年かかっても、大先輩に追いつき、追い越せたと思えた日は1日もありません」と悼んだ。

 中村さんは、熱狂的な阪神ファンで知られた。放送局が不偏不党だった70年代に、阪神勝利の翌日に「おはパソ」で「六甲おろし」を歌唱するのが大反響を呼び、番組は圧倒的な聴取率を誇った。

 道上アナは番組で、73年、阪神が最終決戦に敗れ、巨人にV9を許した際、甲子園球場でファンが大暴れしたことを述懐。甲子園のテレビ局の放送席も被害を受けたが、朝日放送の席だけは「ここ、鋭ちゃんとこやな。ここだけは勘弁したれ」との声が飛んで、無傷だったことを明かした。

 また道場アナは、中村さんがその年に、盛大な断髪式を行って丸刈りになり、阪神に優勝を求める嘆願書を集めて阪神電鉄本社に乗り込んだことを振り返り、懐かしんだ。

 番組では中村さんが「阪神優勝!」と叫んで歌い出す「六甲おろし」の歌声を放送。道上アナは「(音源の中で)また中村さん、甲子園に『7万人の観衆』とか、うそついとるな」とおもしろがっていた。

 中村さんとの日々を「憧れ、羨望、尊敬、嫉妬、ないまぜになった50年でした」と振り返り「越えられない山が突然なくなり、目標を見失い、どこがゴールか分からなくなっていますが、先輩のほうに向かって、私はもう少しだけ走り続けます

。先輩、ご苦労様でした。ありがとうございました」と追悼した。

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